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ENCUENTROS・エンクエントロス

2.16八幡山コンサートが終わり
3月がやってきました


年明けから目標にしてきたイベントだけに
終わるまで他のことは何も考えられなかった。
何処かで「2.16が終わったら、しばらくのんびりするんだろうな~」
なんて勝手に思っていたんですが…ですが、


んなわけもなく(笑)

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そう、コンサートの時にご報告させていただいたのですが
この度酔夢楽団 ギター担当 浜ちゃんが
結婚することと相成りました。パチパチパチ~、ひゅーひゅー。


なんと、その披露宴の席で演奏させていただきます。
パチパチパチ~(再)、ひゅーひゅー(再)、ん?ホントか?大丈夫か?。


曲は…

「ENCUENTROS・エンクエントロス」
”出会い”という邦題が付いている披露宴にはピッタリ?の曲。

八幡山では演奏していない、しかも新曲、しかもかなりの難曲。


え?それやるの?吹くの?うわぁ~
という諸先輩皆様の声が聞こえてきそうです。
やります、やります、やるんです。


2.16から半月の個人練習を経て
本日が初合わせ、思っていた通り。なんとも難しい。

おまけに予想して事前練習したこととは全然違うこと(パート?)をやるらしく、
現在のところまるっきりできません。



皆様ご存知とは思いますが(しらね~よ・汗)、わたくし、事前にかなり練習しないとその場では何もできない笛吹きなのです。なので、仕様が決まるとまずはそこまでで終了。
個人練習でできるようになってからでないと次に進めないのです。
(なので打ち上げとかでやるフリーセッションの時は、まず吹かないんですよね~)
…だってできないんだもん。



というわけで現在山のような宿題を抱えてます。
目標は3月23日の「バロン大森トリビュートLIVE」でできるようにする。


できたら相当カッコいいです。
末永く演奏できる曲になりそうです。



ただ現在、できるかどうかが最大の問題なのですが(笑)。

酔夢楽団10周年記念コンサート

酔夢楽団史上最大のイベントが終わりました。


2019年2月16日


酔夢楽団10周年記念コンサート


たくさんのお客様に足をお運びいただき
会場は満員、ありがたい限りです。



まずはお客様、
ゲスト出演いただいた演奏家の皆様
そしてお手伝いいただいたスタッフの方々
今回これなかったけど公演を気にかけてくれた皆様
そしてこれまで酔夢楽団にかかわってくれた
すべての皆様に、
感謝の尽きないイベントでした。


ちょっとキャパオーバーでご迷惑をおかけしてしまったかもしれません
窮屈な思いをさせてしまった方がいらっしゃいましたら
申し訳ございません。


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これまで
本当にいろいろな方々のお世話になりながら活動してきたんだなぁ
駆けつけてくれたお客様を見るだけで
走馬灯のようにいろいろな思い出が駆け巡ります。


思い余って?演奏がコケるなんて、
相変わらず恥ずかしいパフォーマンスではございましたが
それでもたくさんの拍手をいただき、ありがたい限りです。


御覧の通り
僕らの演奏には、聴いてくださっている皆様に感心していただくほどの
テクニックも、聞き惚れていただくほどの音色も持ち合わせていません。
ただ、音楽を通じて、みんなで一緒に楽しい思いをしたい。
楽しい時間・空間を「みんなで」創り共有したい。


「音楽って、楽しいじゃん!」


そんな思いだけは演奏の中にたっぷり!と詰まっているものと思っております。


そう、酔夢楽団、実は究極の視聴者参加型バンド
お客様、皆様のご協力があって初めて成り立つ不思議なバンドなのです。


あ~あ、なんという無責任・他力本願発言・汗。




仕方がないことではありますが
バタバタでゆっくりお話しできなかったのがとても残念。

いらっしゃっていただいた皆様と思い出話に花を咲かせたかったし
おバカな(愛すべき誉め言葉)話をもっと沢山たくさんしたかった。


でもそれは次の10年をかけて・・・ゆっくりと




「よくこんな演奏で人前でやるなぁ・・・」という
リスナーとしての厳しさを、
心の棚に、山のよう放り投げ、


「楽しいんだもん、しょうがないじゃないか」


「音があって、リズムがあったら、ほら…」


酔夢楽団まだまだ歩み続けます


ご迷惑かもしれませんが、
これからも一つよろしくお願いいたします。







setlist
八幡山フォルクローレ 酔夢楽団 10周年記念コンサート

     2019年2月16日 13:00~16:00    
 平塚八幡山の洋館(旧横浜ゴム平塚製造所記念館)

第1部
a la morenada            que vo  matoraka
el condor pasa             que   
charagua                    que        
no se muere nunca      b  
vuera a ti                     
diavrada traditional   z      
el umauaqueno      que


第2部
HAL & K
Happy mountain boys

 


第3部
母なる風          que
elay pue          que 水笛
candonbe para jose       que  vo
扉を開けておくれ          que  vo
pollerita                       z  vo
idilio                           vo  matoraka


¡OTRA!
carnaval grande           que
vamos a cantar            z  vo

フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅  その7 ~CD新時代~

全国的なのかどうか、よくはわからないが
自分が住むエリアでは最近、
「マルシェ系イベント」が花盛りである。


一時期一世を風靡した
「フリーマーケット」とは異なり
リサイクル系ではなく、自作のクラフトや仕入れた食材
キッチンカーや飲食店の野外販売。

素人が家にあったものを並べていたものとは異なる
いわゆるプロ&セミプロのマーケット。
(リサイクルはネットアプリに置き換わったんだろうな~)

そんなマルシェ系イベント。
休日の午後などはかなりの人出
お酒の販売もあったりして、そこそこ楽しませていただいている。



そんな会場をふらふらしつつ考える。

クラフト系のものはいいなぁ
こうして実際に並べて直接手に取ってもらって、


それに比べて音楽系の人は大変だよなぁ
見えないし、ものじゃないし、
確かに会場にはステージがあったりもするけれど、
演奏時間も限られているし、

あ、CDがあるか。

でもCDって、テレビやラジオでしか聴くことのできなかった音楽を
自由に、何回でも聴くことができる工業製品という認識だよな。
だから最近は利便性から通信に置き換わっている感じ。


・・・ん?本来は違うのか。

本来は音楽系アーチスト(本当の意味の芸術家の意。世間一般に言われる、何もできないから呼称に困ってつけた呼称ではない)が工房(スタジオ)にて作成した作品(音空間)を再現するためにモノ化した物。

生で聞いた演奏を場所を変えて再現すべく、作成された一つのクラフト
ではないだろうか・・・。

なるほど、単なる工業製品ではない、クラフトとしてのCDにこそ
これからのCDのニーズがあるのかな?


ビールのコップを片手に
午後のマルシェを歩きつつ、そんなことを考えていた。

充分怪しいおっさんだな、こりゃ。



結論。
もっとCDを買おうっと。

liveとかで「これいいなー」とか思ったら買ってみるようにしよう。
頑張っている「アーチスト」にイイネを投票するようにしてみよう。
そしてそのアーチストがつくった音空間を家で再現してみよう。



・・・で、



前置きが長くなりました。
ここから先が言いたくての長い前振り

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川俣コスキンで4枚のCDを買いました。
思わずイイネと押したくなる4つのクラフトです。

「Poncho color viento」         RAUL OLARTE
「sola en Buenos Aires,yo estoy aqui」   小川 紀美代
「あさきゆめみし」            TOYO草薙
「Ending Breath Attack 突き抜けるケーナ」JOSE+YOSHIO

いずれも今回のコスキンに出演されていた方々です。

それぞれに関しては次回・・・

 
      ・・・ってまだ続けるのか・汗

フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅  その6 ~酔夢版、家族に乾杯?~

「マスター こんばんは~」
と言ってお店のドアを開ける。

1週間で2度目、通算は何度目だろう
気に入ったら、しばらくは集中して通う。

気が付けばプチ常連。

こんなふうに街のお店に通う。
若いころはそんなことをしてよく遊んだものでした。

お店の人とおなじみになって、常連さんとのおしゃべりに花を咲かせ・・・



川俣に通い始めて
一つ、まだ叶っていないこと。
フォルクローレとは関係のないところで
地元の人達ともっと話をしてみたい。という想い。

せっかく毎年来てるのだもの
お店(川俣)のマスター(地元の方)とも仲良くなりたいじゃないですか。

とはいっても長くて3日、通常2日。
これだけ盛りだくさんでいろいろなことがあると、
そう簡単にはいかない。

会場でも、必ず1度は周辺、(目抜き通り方面)を散策しているのだが
例年、急いで街の様子を眺めるだけにとどまってしまっている。

もったいない・・・。



そんな中、
今年は少しだけ、地元の方のお話を伺うことができました。

朝、少しだけ時間を取って、宿周辺の散策。
会場から少し離れた二本松市木幡地区。

ここも年に一度「木幡の幡祭」の際にはかなりの人出になるらしい。
http://www.nihonmatsu-kanko.jp/?p=816

地元のおば(あ)ちゃんたちの、お国自慢話?は楽しかった。
大きなお屋敷の軒先?で、そのおうちの歴史を楽し気に誇らしげに語る。

まるで 
  NHK 鶴瓶の「家族に乾杯」やん・笑

もっともっといろんな話聞きたかったけれど
時間がない。ざんねん~

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木幡、幡祭キャラが看板に・・・ 

そんな時間がない中、
最後に寄ったお土産物兼日常品のお店のおば(あ)ちゃん。

「へぇ、演奏されてきたのかね」
「私は足が悪いから行けへんから、いつもテレビでみちょる」と85歳

どうやらローカル放送局では結構なトピックスとして紹介されているらしいですね。

後になって思ったんだけど。
   「んじゃ、ここで出前演奏しようか、」なんて持ち掛けたら
喜んでくれたかなぁ・・・。

地元の方とのお話は楽しい。
時間がゆるりと流れる。
浦島太郎が竜宮城で過ごしたかのようなゆったりとした時間の流れ。

ここで楽しい時間を過ごしたら、
きっと感じた以上、何倍もの時間が過ぎちゃうんだろうなぁ。





ちょっとギアをチェンジしての「みちのくの紀行」
紅葉にはちょっと早い?。ん~そうだ、稲刈りの季節。

近くの公民館(旧小学校)グランドでは
地区別対抗グランドゴルフ大会のにぎやかな声。

毎年、ちょっとずつでもこんな時間が作れたらなぁ・・・



というわけで今宵はここまで。

とっぴんぱらりのぷう

フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅  その5  ~え?今年は宴会無いの?~

いろいろな人に会えること。これもコスキンの楽しみの一つ

日頃の行動半径があまり広くない自分は
日常でお会いできる人が限られてしまっている。
(仕事での出張とかもないので、色々出歩いている割には農耕民族なのです)

なので、この日この場がとても楽しみ。

これは4回目のコスキンの時(おぉ、もう6年前か)のお話。

この年の演奏は23:20分。これまでで最も遅い時間。
なので初めて主催者が手配してくれる宿に申し込んでみた。
(それまでは福島駅前のホテルを取って夜の街?に繰り出していた)

安い分雑魚寝?いや、ちゃんとお布団はあるが相部屋。


すべての演奏が終わって午前1時。
思いのほかいい演奏ができて、そこそこご機嫌なわれ等。
しかし、会場から直行の送迎バスなのでお酒を買っている時間もない。
つーか、宿についたのは2時ころ?
普通なら時間的にそれどころではない深夜2時。

なのに、宿につくとそこは・・・

    宴会場だった(笑)


「いっしょに飲みません??」

誘っていただいたのは仙台のグループの方。
そういわれて、僕は断るボキャブラリーを持ち合わせていない。

その後大いに盛り上がり

気が付いた時はもう明るくなっていた。

それから毎年、同じ宿で繰り広げられる楽しい宴




その時ご一緒させていただいたのが
仙台の老舗コンフント「コンフント トラピチェ」
出場30回?日本代表でアルゼンチンへ行った方を輩出する
実力派。なのに こんな人たち(以下略・笑)
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日頃は「世を忍ぶ仮の姿」で暮らされているらしいのですが、年に一度、川俣で・・・

ご紹介いただいて広がった仙台でご活躍中の愛好家の皆様との輪。
皆様と毎年お会いするのが楽しみで、楽しみで。

ところが・・・

ところがですよ

なんと、
今年、宿が別々だったんですよ(泪)

会場より一番遠い宿のため
希望をすれば主催者側の人も喜んで割り振ってくれていた
なので毎年我々は「能ならば・・・」 と希望を出していた

トラピチェさんたちはまずは20年来?定宿化していたため
安心しきっておりました。

なので今年は夜の宴会がお流れ・・・

    残念至極。

年に一度のお楽しみだったのに~。

これは来年、策を講じなければならない。
(事前に相談して同じグループで宿申し込みすればいいだけの話なので)




なので今年は・・・
やむなくこちらで・・・

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トラピチェ、実はアルゼンチン最高峰ワインのブランド名
(葡萄やサトウキビを絞る圧搾機からのネーミングらしい)

  うーん、やっぱり残念。

フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅  その4  ~4・3・5~

今回は酔夢楽団が5人に戻った話。

そう、われ等が「酔夢楽団」
メンバーは5人。
ビエントス(笛)x2、チャランゴ、ギターラ、ボンボ(太鼓)
基本的フォルクローレコンフントのスタイル。



5人でようやく「1人前」みたいな演奏を続けて早10年
その間コスキンでは2016年は4人、2017年は3人という経験も。
そして、この2年は扇の要であった姐さんが普段の活動から卒業
常時4人の演奏となっておりました。


10年の記念の時には是非、同窓会みたいな気持ちで遊びに行こうよ
などとお誘いしていたのですが・・・
この度、それを待たずに正式に復帰いただけることと相成りまして


    拍手!  パチ・パチ・パチ!!!

なので今回のコスキン、実は正規メンバー5人なのであります。


長いことやっていればいろいろなことがあります。
日々の暮らしがある以上、音楽?それどころじゃない、なんて時期が
あるのは当然。
それを乗り越えて、一息付けたとき、またこうしてみんなで演奏できる。

素晴らしいことです、うれしいことです。



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酔夢楽団5人衆 10年目の晴れ舞台
写真は三角山放送局morisue様にいただきました・感謝



酔夢の演奏は、以前5人だったころから「演奏がまとまってるよね」
という言葉をいただくことが結構ありました。
こんな演奏だから、誉めるところを見つけるのも大変だろうなぁと同情申し上
げるのですが、
それでも別々の方から同じようなお言葉をいただけるというのは、一つの特徴なの
かな?と思っています。嬉しいお言葉です。


僕らはまるでちっちゃな魚、スイミーのように
個々は誇れるほどの技術は持ち合わせていないけれど、
集まると「ほぉ、なるほど」と思っていただけるような、

それぞれ、技量もバラバラなのだけれど皆が真ん中の一点を見ているかのような演奏、
そんな演奏ができたらイイネ・・・とは思わないでもない。


これまで
パワー不足や、バランスが崩れてしまった演奏、中心が見えなくなってしまった演奏も経験した。
そんな経験もあったからこそ、今年は3年ぶり
フルメンバー、5人のコスキン。幸せでした。


なので先に記したヘロヘロな緊張感の反面、妙な安心感も感じてた。
僕自身は演奏中、「え?そんなに緊張してたの?」というような顔をしてたんじゃないかな?。


そんなわけでわれら酔夢楽団5人衆



これからも、ぼちぼち無理をせず。
「ほぉ、なるほど!」な演奏を目指して

さらなる成長を続けます




以上で2018コスキン「演奏編」は完となります。
次回からは「言いたい放題」編?ホントにどこまで続くやら(笑)

フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅  その3 ~舞台にて~

吹きなれた二曲。
準備は万端なはず。
目をつぶっても演奏できるはず・・・

はずなのに・・・   はずなのに・・・。
それがうまくいかない。

たくさんの思い入れと、たくさんの練習。
しかし、それとこれとは話が別。





コスキンの出演者控室は、いわゆる公民館の大部屋。
それぞれ好き勝手に陣を取り、
皆様、好き勝手に音を出して練習している。

なので音的には信じられないカオスな状態が繰り広げられている。

勿論、なるべくならば離れたところで音は出すわけなのですが
どうもこの状態にやられてしまったようなのです。

最後の最後になって、自分の出している音がわからなくなってしまった。

「もう 真っ青ですよ(汗)。」

普段からメロディラインをドレミで覚えることはしていない、
(なので本当に楽譜を必要としない)いわゆる笛で歌うタイプの演奏なので
自分が出したと思った物と違う音が聞こえてくると、はまってしまうのですね。
最後の練習の時にすぐ横でかぶっていた音が入り込んでしまった感じ。

こうなってしまうと機械的にドレミを覚えていたほうが立ち直りが早いのですが、
実は「コンドルは飛んでいく」すらドレミで唱和することができないのです。

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出演直前・舞台袖控えの間(大部屋とは違う場所)
今回私だけ超緊張モード? 写真は三角山放送局morisue様にいただきました・感謝


舞台袖まで来ても曲のエンディングをどう吹いていたのかがわからない。

実際に音を出せば一発で確認できることではあるのですが。
すでに舞台袖。
その確認ができない。


もう一度書いてしまおう、

「もう 真っ青ですよ(大汗)。」


前のグループが終わり
結局確認できぬまま舞台へ

「次の演奏は・・・酔夢楽団さんです」
会場には司会の方によるコンフントの紹介が始まっている。

こうなったら「エイ、ヤァ!」で体が覚えていてくれることを
信じるしかない。

・・・    「えい、やぁ!!」





結果。若干ヨレながらもどうにか終了。



雰囲気に酔うことも
思い出に浸ることも
ましてや想いを表現することも

結局、何一つできなかった。いつもと同じ必死な演奏(笑)

それでも会場の皆さんは優しかった。

お客様の席からは大きな拍手が聞こえた。


「福岡さんもきっと手拍子してくれていたと思いますよ」
司会のTOYO草薙さん(プロチャランゴ演奏者)の暖かい言葉に救われた気がしました。

こうして10年目の演奏が終わった。
兎にも角にも、とりあえず無事(の範疇で?)終了。

「福岡さん、いかがでしたでしょうか
 我々酔夢楽団、 10年目のコスキンもこんな感じでございます。
 まだまだ精進が足りませぬ。」


草薙さんが言ってくれていた福岡さんの手拍子が、
リズム修正のための拍子でなかったことを祈りつつ・・・





次回 もういっちょ今回の演奏に関して。
   サブタイトルは ~4・3・5~    

フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅  その2 ~ようやくたどり着いた舞台~

今から13年前。

2005年10月7日夜。
「出演しないコスキンにはもう行かない・・・」

その年のコスキン開幕前夜に
このブログでつぶやいた一言

 

それまで数年間、演奏を聴きくためだけに

幾度となく足を運んでいた川俣。
そしていつも「来年こそは・・・」と思い続けてきた。

本当に出たかったんだろうな~
当時、地元でどんなに頑張っても実現できなかった。

それから2年、新しく組んだコンフントは「酔夢楽団」、
出場が実現したのはもう2年後の2009年。


それから10年の月日が流れ・・・


今年5月、記念に選んだ2曲は

「A la morenada」

「母なる風」




1曲目
「A la morenada」(ア・ ラ・ モレナーダ)。

「僕たち、こういう曲やりたいんです!」
初めてCDから弦のコードを拾って取り組んだ曲。
ある意味、酔夢楽団の方向性を示した1曲。

明るくって、軽やかで、それでいて力強く
酔夢楽団のテーマ曲?として、これまでどれだけ演奏したことか(笑)



2曲目
「母なる風」

我々の師匠筋、この曲の作曲者である福岡稔さんが
昨年11月、東京小平の福祉施設での演奏をセッティングしてくれた際

サプライズで演奏しようとチョイスしていたもの。
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福岡さんが見守る中、小平イベント前リハ風景 2017年11月
  今年もやりたかったな・・・


福岡さんが松田・寄でご活躍のころ、地域のアートフェスに出展した
「風がテーマのオブジェ」で奏でたメロディラインがベースになっている
という。


結局、「母なる風」、小平の演奏会では、実現できなかった。
(母の他界等、秋にはいろいろあり、準備しきれなかった)

その時、「来年は絶対にやりますよ~」なんて形で
演奏許可もいただいていた。

ならばこの際、10年の記念に
僕らの原点、松田町「寄(やどりき)」に吹いていたこの風を

川俣に持っていこう!!
川俣での演奏(録音)を福岡さんに聴いていただき
ダメ出しをしてもらおうではないか!!
そうやって決定した2018年、記念の2曲。

・・・。





一月後。

届いた福岡さんの訃報。

結局、演奏を聴いていただくことはできなかった。

悔しいけれど・・・
うまくはいかないものなんだよな
でも、きっとそれが人生なんだろう。

今年の演奏にもう一つの大きな思いが加わってしまった。

吹きなれた二曲。
準備は万端なはず。
目をつぶっても演奏できるはず・・・

はずなのに・・・   はずなのに・・・。


それがうまくいかない。
        それとこれとは話が別。









    というわけ今回はここまで。
               つづきは次回。

フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅  その1

3日間の祭り、一日残し会場を後にする。

翌朝、
旅の疲れのけだるさと
祭りの後の寂しさ、今、どっぷりと漬かっています(笑)。



毎年秋に開催される
フォルクローレの祭典

「コスキン・エン・ハポン」
全日本フォルクローレフェスティバル2018

今年で44回目、日本最大のフォルクローレの祭典。

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僕らのコンフント(バンド)酔夢楽団は、今年で10年連続出場。
主催から感謝状の表彰をいただきました。


参加者はもれなく、連続5年目には川俣の町から
連続10年には主催のノルテハポンから表彰していただくのですが、

見回せば僕の周りには
25回?、27回?と信じられない猛者たちがたくさん居ます。


表彰されたなんて言ったって、まだまだ僕らはひよっこです。



10年を超え、これから先は誰からも褒めていただくことも、
感謝されることもないわけですが、それでも皆さんやってくるのです。

僕もまた、来年もこの地を踏んでいることでしょう。



だってさ、「おバカなんですもん。」


10年記念ということで、
個人的に今年は昔を振り返る機会多かった気がしています。

色々な方と話しながら、その方と出会った頃のことを思い出しました。

地理的環境から年に一度この川俣でしかお会いできないでいる方々。
ここでの出会いをきっかけに、地元に戻っても遊んでいただいている皆様。

そして、一期一会を重ねるごとに増えるやりたくてもやれないことの数々。


あの人たちの演奏を聴きたい。

もっとたくさんの話をしたい。

もちろん自分たちの演奏もある。
準備もしなくちゃだし、最後の悪あがき練習もしたい。
こんなにたくさんのお手本に囲まれた時間をバンドのメンバーと共有しているのだから、
メンバーとだってもっと話したい。


そして、みんなとお酒が呑みたいじゃないですか!(笑)



足りるわけないよ~、2日間じゃ何もできませんがな(泪)


ま、毎年のことにはなりますが
その欲求不満をぶつけるかのように。
この一大イベントに関してしばらく書き綴っていこうと思います。


全部で何回になるでしょう。例年だと大体の構想はあるのですが
今年は見当もつきません。
と言っておきながら、次で終わるかもしれませんが(汗)。


とりあえず
今年のタイトルは・・・


「フォルクローレに恋をして。 福島県川俣、楽器を持った10年目の旅」  です。
  (タイトルに関してのクレームは受け付けません。
     柄でもないことは100もしょうち!!笑)


お時間の許す方はお付き合いいただければと思います。。

夢の片隅  ~日本におけるボリビア音楽の父、福岡稔さんと私~

先日逝去された福岡さん
僕の笛(フォルクローレ)の直接の先生でもありました。
実はとてもすごい人で、日本におけるフォルクローレの興隆を語るうえで
欠かせない方なのだそうです。
ネット上でもその功績をたたえる声が多数掲載されています。



実は僕自身は、そのことについて語るべき物は持ち合わせていない。
なぜかはこの先読んでいただければ多分わかると思う。


なので、極個人的なお話・・・





ネット上にある一つの文章。

”カバーニャ誕生のいきさつを知らなければカバーニャの本当の姿は見えてこない”
   「福岡 稔 小伝」

http://andes-bolivia.jp/cabana/fuku.htm


福岡さんについて彼の友人が記したもの。
記されてすでに20年近くがたっています。

この文章は僕がケーナを初めて間もなくネット上に掲載されました。

福岡さんのボリビア音楽界における活躍が記されるとともに、アンデスフォルクローレがどのように日本に伝わってきたかが推察できる文章となっています。


読んでいただければわかるのですが
僕の笛を持っての活動は、時期的にこの文章が掲示された頃がスタートラインになっています。
したがって、文章に書かれている福岡さんの一番輝いていたころを僕は知らない。


アンデスの音楽が好きで、より深く知りたくて、
そして福岡さんの存在に巡り合う。
フォルクローレファンの中ではそんな方が多い中、
自分の場合はまるっきり様子が異なっていました。



実は福岡さんに出会うまで、フォルクローレといえば僕はサイモン&ガーファンクルの「コンドル飛んで行く」しか知りませんでした。
というか”フォルクローレ”というものの存在を知らなかった。
もちろんケーナとサンポーニャの区別がついていない
チャランゴ?なにそれ?おいしい?・・・といった感じ。


「フォルクローレっていうジャンルの音楽なんだ。ふーん。」


何でもいいから一つ楽器できると楽しいよね、という浅い動機。挫折してもこの楽器なら安いしね・・・なんて実に不埒な思いで福岡さんが講師を務めるケーナ教室に通い始めた。

聞けば教わっている先生は
「日本におけるボリビア音楽の父」といっても過言ではない
すごい人だという・・・



  なんともまぁ、失礼な話である。




しかしそれがある意味、
人生を変えてしまう出会いだったなんてことはつゆ知らず・・・。



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それまで音楽は聴くものであって、楽器の演奏とはまるで無縁だった自分にとって、
音を奏でること一つがとても斬新なことでした。
子供のころ以来、習い事なんてやったことがない中、それまで出来なかったことが少しずつできるようになっていくという至極当たり前のことにとても感動した。



何より、全く経験のなかった外国の音楽文化に触れるというエキゾチックな体験。
僕ら(夫婦で習い始めた)はあっという間に夢中になっていきました。

南米文化の話、音楽としてのフォルクローレの話、そして川俣コスキンをはじめとする諸先輩の方々が築いてきた日本のフォルクローレ事情。

不器用ゆえになかなか上手にならない中、挫折しなかったのは、こんないろんな話を聞くことができたから。

福岡さんから発せられる言葉、一挙手一投足が、まんま僕にとってのフォルクローレでした。(民間伝承という意味もちょっとだけ含めて)


当時から今どき珍しい純粋培養的はまりっぷり、と笑われてましたが
考えてみれば純粋培養「的」ではなく、まさに生粋な純粋培養だったわけで・・・




並行して松田の「クルブ・カバーニャ」にも参加。
丹沢山麓、松田、寄 アンデスの家ボリビアの音楽堂(カバーニャ)にフォルクローレの演奏家をお招きし、コンサートと親睦会の2本立てイベントを開催するサークル。


時にプロの演奏家、時にアマチュアのグループ。学生さんがステージに立つことも。


多いときは百人規模のイベント。会員有志が運営のお手伝い。
交流会のおにぎりを握り、季節の副菜を盛りつけ、食後のコーヒーの準備をする
会場の設営やら交通整理まで。
右も左もわからぬ新参夫婦が、お邪魔させていただきました。
優しく、とても暖かく受け入れていただいた地域の皆様に感謝です。

そしてコンサートとなれば一番前のかぶりつきで聴いていた。
(チャランゴのマエストロ、エルネストカブールの演奏をひざ詰めで聴かせていただいたのは良い思い出です。)



この会で音楽のある日常のすばらしさを教わった。
地元の方々を中心に音楽で紡がれる人と人とのつながりがそこにある
地域に音楽があって、人の輪が生活に潤いを醸し出す。


ここでも精力的に活動する福岡さんの背中を見つつ、
地域から世界へ、寄からボリビアへ、音楽っていいなぁ、
すごいなぁと素直に感じ入ったものでした。



日常の暮らしも大きく変わった。

三十路を過ぎて生活の中心に音楽(フォルクローレ)が来た。

幸か?不幸か?我々は夫婦二人してはまったものだから
家族内からクレームは来ない。
グループの練習に行くのも、コンサートを聞きに行くのも二人だから
とりあえずこの変化が原因で不仲になることはなかった・笑。

・・・本当にいろんなところへ聴きに行ったなぁ。


しばらくすると僕らは演奏活動なるものを始めた。
コンフント(楽団)を組み、町のにぎやかせに参加させていただく様にもなった
地域の音楽仲間(フォルクローレ愛好家・他ジャンル方々)と交流するようにもなった。
公民館での市民祭り、国際交流フェア、里山コンサート、そして年に一度の東北演奏旅行
(川俣コスキン)。


どんな時もアンデスの家ボリビア・カバーニャで習ったことが原点でした。


お子さんや、若い方、ご年配に至るまで、幅広い年齢層に支持されるフォルクローレ。
そんな稀有なジャンルの音楽は、僕らの暮らしそのものを一変させてしまいました。

「音楽のある暮らし」なんて名のブログを始めたのもそんなころの話。
ま、これは余談ですが。





出会った当時から体調不良を訴えておられ、
ケーナサークルも、実際に習えていただいていたのは、1年半ぐらいだったでしょうか。入院、手術、療養、さすがに継続は難しく僕らは独り立ちすることになった。


けれど、その後も体の不調を押してまで活動しようとする姿を見るにつき、「無理しないで」と願う反面、是非思いを遂げてほしい、頑張ってほしいと願わずにもいられませんでした。
早くに伴侶を無くし、孤軍奮戦で子育てをしつつ、前向きに、ひたむきに、真摯に取り組む姿は、僕らにとっては時に音楽の師匠を超えた存在としてあり続けました。


近年は元気づけようと出かけたはずなの、逆に元気とやる気をもらって帰ってくるという
不思議な?状態だったりして。




残念ながら僕自身の音楽の腕前はさほど上達することはありませんでした。
(それでも普通に人前で演奏できるくらいにはなりました。自覚している自分の才能からすれば十二分すぎる出来だと思っています。)けれど、僕は福岡さんの背中から、それ以上に、言葉にできないたくさんのことを教わった気がしています。

思い出もたくさん。
練習の話、取り組む姿勢の話、カバーニャ、川俣コスキンでの話、初めて酔夢楽団の演奏を聴いてもらった時の話、紹介いただいた仲間の話、最初で最後、たった1度の共演の話。一つ一つについて書き始めたらきりがなく、懐かしい思い出が湯水のようにあふれてきます。




先の文章、ネット上に掲載されている「福岡 稔 小伝」

ここには「日本におけるボリビア音楽の父」の大きな、はるかな夢が記されています。
そしてその夢は道半ばであることも綴られている。その夢の続きがこの先どうなっていくかは誰にもわからない。


僕はその、大きな、はるかな夢の片隅で、
静かに笛を吹かせていただいている。


これまでも、そしてこれからも。


感謝してもしつくせない。
すべては一本の笛を譲っていただいてからの物語。



先日松田町、寄にあるアンデスの家ボリビア、カバーニャの大掃除に参加させていただき、多くの懐かしい資料、写真等を拝見しました。
改めて何か残しておこうと思い、
極々個人的な話ではありますが記させてもらった次第・・・

                   2018年7月

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