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夢の片隅  ~日本におけるボリビア音楽の父、福岡稔さんと私~

先日逝去された福岡さん
僕の笛(フォルクローレ)の直接の先生でもありました。
実はとてもすごい人で、日本におけるフォルクローレの興隆を語るうえで
欠かせない方なのだそうです。
ネット上でもその功績をたたえる声が多数掲載されています。



実は僕自身は、そのことについて語るべき物は持ち合わせていない。
なぜかはこの先読んでいただければ多分わかると思う。


なので、極個人的なお話・・・





ネット上にある一つの文章。

”カバーニャ誕生のいきさつを知らなければカバーニャの本当の姿は見えてこない”
   「福岡 稔 小伝」

http://andes-bolivia.jp/cabana/fuku.htm


福岡さんについて彼の友人が記したもの。
記されてすでに20年近くがたっています。

この文章は僕がケーナを初めて間もなくネット上に掲載されました。

福岡さんのボリビア音楽界における活躍が記されるとともに、アンデスフォルクローレがどのように日本に伝わってきたかが推察できる文章となっています。


読んでいただければわかるのですが
僕の笛を持っての活動は、時期的にこの文章が掲示された頃がスタートラインになっています。
したがって、文章に書かれている福岡さんの一番輝いていたころを僕は知らない。


アンデスの音楽が好きで、より深く知りたくて、
そして福岡さんの存在に巡り合う。
フォルクローレファンの中ではそんな方が多い中、
自分の場合はまるっきり様子が異なっていました。



実は福岡さんに出会うまで、フォルクローレといえば僕はサイモン&ガーファンクルの「コンドル飛んで行く」しか知りませんでした。
というか”フォルクローレ”というものの存在を知らなかった。
もちろんケーナとサンポーニャの区別がついていない
チャランゴ?なにそれ?おいしい?・・・といった感じ。


「フォルクローレっていうジャンルの音楽なんだ。ふーん。」


何でもいいから一つ楽器できると楽しいよね、という浅い動機。挫折してもこの楽器なら安いしね・・・なんて実に不埒な思いで福岡さんが講師を務めるケーナ教室に通い始めた。

聞けば教わっている先生は
「日本におけるボリビア音楽の父」といっても過言ではない
すごい人だという・・・



  なんともまぁ、失礼な話である。




しかしそれがある意味、
人生を変えてしまう出会いだったなんてことはつゆ知らず・・・。



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それまで音楽は聴くものであって、楽器の演奏とはまるで無縁だった自分にとって、
音を奏でること一つがとても斬新なことでした。
子供のころ以来、習い事なんてやったことがない中、それまで出来なかったことが少しずつできるようになっていくという至極当たり前のことにとても感動した。



何より、全く経験のなかった外国の音楽文化に触れるというエキゾチックな体験。
僕ら(夫婦で習い始めた)はあっという間に夢中になっていきました。

南米文化の話、音楽としてのフォルクローレの話、そして川俣コスキンをはじめとする諸先輩の方々が築いてきた日本のフォルクローレ事情。

不器用ゆえになかなか上手にならない中、挫折しなかったのは、こんないろんな話を聞くことができたから。

福岡さんから発せられる言葉、一挙手一投足が、まんま僕にとってのフォルクローレでした。(民間伝承という意味もちょっとだけ含めて)


当時から今どき珍しい純粋培養的はまりっぷり、と笑われてましたが
考えてみれば純粋培養「的」ではなく、まさに生粋な純粋培養だったわけで・・・




並行して松田の「クルブ・カバーニャ」にも参加。
丹沢山麓、松田、寄 アンデスの家ボリビアの音楽堂(カバーニャ)にフォルクローレの演奏家をお招きし、コンサートと親睦会の2本立てイベントを開催するサークル。


時にプロの演奏家、時にアマチュアのグループ。学生さんがステージに立つことも。


多いときは百人規模のイベント。会員有志が運営のお手伝い。
交流会のおにぎりを握り、季節の副菜を盛りつけ、食後のコーヒーの準備をする
会場の設営やら交通整理まで。
右も左もわからぬ新参夫婦が、お邪魔させていただきました。
優しく、とても暖かく受け入れていただいた地域の皆様に感謝です。

そしてコンサートとなれば一番前のかぶりつきで聴いていた。
(チャランゴのマエストロ、エルネストカブールの演奏をひざ詰めで聴かせていただいたのは良い思い出です。)



この会で音楽のある日常のすばらしさを教わった。
地元の方々を中心に音楽で紡がれる人と人とのつながりがそこにある
地域に音楽があって、人の輪が生活に潤いを醸し出す。


ここでも精力的に活動する福岡さんの背中を見つつ、
地域から世界へ、寄からボリビアへ、音楽っていいなぁ、
すごいなぁと素直に感じ入ったものでした。



日常の暮らしも大きく変わった。

三十路を過ぎて生活の中心に音楽(フォルクローレ)が来た。

幸か?不幸か?我々は夫婦二人してはまったものだから
家族内からクレームは来ない。
グループの練習に行くのも、コンサートを聞きに行くのも二人だから
とりあえずこの変化が原因で不仲になることはなかった・笑。

・・・本当にいろんなところへ聴きに行ったなぁ。


しばらくすると僕らは演奏活動なるものを始めた。
コンフント(楽団)を組み、町のにぎやかせに参加させていただく様にもなった
地域の音楽仲間(フォルクローレ愛好家・他ジャンル方々)と交流するようにもなった。
公民館での市民祭り、国際交流フェア、里山コンサート、そして年に一度の東北演奏旅行
(川俣コスキン)。


どんな時もアンデスの家ボリビア・カバーニャで習ったことが原点でした。


お子さんや、若い方、ご年配に至るまで、幅広い年齢層に支持されるフォルクローレ。
そんな稀有なジャンルの音楽は、僕らの暮らしそのものを一変させてしまいました。

「音楽のある暮らし」なんて名のブログを始めたのもそんなころの話。
ま、これは余談ですが。





出会った当時から体調不良を訴えておられ、
ケーナサークルも、実際に習えていただいていたのは、1年半ぐらいだったでしょうか。入院、手術、療養、さすがに継続は難しく僕らは独り立ちすることになった。


けれど、その後も体の不調を押してまで活動しようとする姿を見るにつき、「無理しないで」と願う反面、是非思いを遂げてほしい、頑張ってほしいと願わずにもいられませんでした。
早くに伴侶を無くし、孤軍奮戦で子育てをしつつ、前向きに、ひたむきに、真摯に取り組む姿は、僕らにとっては時に音楽の師匠を超えた存在としてあり続けました。


近年は元気づけようと出かけたはずなの、逆に元気とやる気をもらって帰ってくるという
不思議な?状態だったりして。




残念ながら僕自身の音楽の腕前はさほど上達することはありませんでした。
(それでも普通に人前で演奏できるくらいにはなりました。自覚している自分の才能からすれば十二分すぎる出来だと思っています。)けれど、僕は福岡さんの背中から、それ以上に、言葉にできないたくさんのことを教わった気がしています。

思い出もたくさん。
練習の話、取り組む姿勢の話、カバーニャ、川俣コスキンでの話、初めて酔夢楽団の演奏を聴いてもらった時の話、紹介いただいた仲間の話、最初で最後、たった1度の共演の話。一つ一つについて書き始めたらきりがなく、懐かしい思い出が湯水のようにあふれてきます。




先の文章、ネット上に掲載されている「福岡 稔 小伝」

ここには「日本におけるボリビア音楽の父」の大きな、はるかな夢が記されています。
そしてその夢は道半ばであることも綴られている。その夢の続きがこの先どうなっていくかは誰にもわからない。


僕はその、大きな、はるかな夢の片隅で、
静かに笛を吹かせていただいている。


これまでも、そしてこれからも。


感謝してもしつくせない。
すべては一本の笛を譲っていただいてからの物語。



先日松田町、寄にあるアンデスの家ボリビア、カバーニャの大掃除に参加させていただき、多くの懐かしい資料、写真等を拝見しました。
改めて何か残しておこうと思い、
極々個人的な話ではありますが記させてもらった次第・・・

                   2018年7月

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フォルクローレ」カテゴリの記事

コメント

僕が福岡さんと初めてお会いしたのは、40年程前になります。
当時は高校生で、その後、福岡さんと同じ大学に入学したのを福岡さんは大変喜んで下さいました。自分の大学にフォルクローレの花が咲く可能性が出来たからだと思います。

残念ながら不肖の後輩はそんなことも出来ず、大学にフォルクローレが根付くことはありませんでした。

カバーニャ建設のお手伝いを少しだけして、大学を卒業した僕はフォルクローレから遠ざかっておりました。

福岡さんが元気一杯で、カバーニャという夢に踏み出した頃からフォルクローレを忘れ去ってしまったのです。

その後、約30年程してフォルクローレを再開したわけでありますが、この間、福岡さんはカバーニャという夢を実現し、地域の方々を魅了し、多くのフォルクローレ・ファンを作られました。その方々の中の多くは、聴くだけではなく演奏する楽しみを感じられるようになったのですね。

そして沢山のコンフントや、プロの演奏家が活動することになりました。

特に、クルブ・カバーニャに関係された地域の方々。この方々をフォルクローレを聴くこと、演奏すること、演奏会を運営することにせた福岡さんの情熱は素晴らしいと思います。

こんなことを今更ながら知った僕は、やはり福岡さんの偉大さに頭が下がる思いです。

もぐらさんご夫妻がフォルクローレにどっぷりハマったこと、そしてこのような文章を書かれていることを、福岡さんはきっと喜んでいらっしゃると思います。

不肖の後輩も、福岡さんの御導きにより酔夢楽団さんとお知り合いになり、福岡さんの最晩年に関われたことが嬉しかったです。

もぐらさん、これからもよろしくお願い致します!

コメント ありがとうございます。
返信が遅くなり申し訳ございません。

先日今年も川俣に行き、改めて福岡さんに初めて連れてこられたときのことを思い出しました。
 お店を出していたオフィシャルエリアでは楽しそうにグッズの販売の手伝いをしている子供たちの姿。

そうだなぁ、初めて来たのはこの子供たちが生まれるずっと前の話だもんなぁ・・・ 

月日の流れをしみじみと感じました。

今年もにぎやかでしたよ(^-^) もしばらくしたら ご一緒しましょう。
なぁに、あっという間ですよ(*^_^*)

というわけで相変わらずの下手の横好きですが、今後とも太く長く、よろしくお願いします。

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